The Pogues / Fairytale Of New York

俺的№1クリスマスソング。

(と、毎年、恒例の様に言っている)

 

アメリカ人の10%くらいがアイリッシュ系と言われてるけど、トム・ウエイツ、パティ・スミスみたいに売れてやるぜ!って、アイルランドからアメリカンドーリムを夢見てニュー・ヨークに渡ったはいいけど落ちぶれて行くカップルの歌なんだけど。そんな中でもいいこともあればケンカもするし、それが日常なんだなぁと思う。

 

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#クリスマスソング #The Pogues #Fairytale of New York

#Shane MacGowan #アイリッシュパンク #ケルティックパンク

 

 

そしてシェインのマイ・ウェイはめちゃくちゃカッコいい!

 

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昔話2

昨日はソンソン弁当箱主催のイベントでヒカシューを観た。

巻上公一氏は昔のままだった。(見た目もその他も)

Pikeを聴けたのは嬉しかったし、ヒカシューが東京ロッカーズに出ていたという逸話も聞けてたし。

しかし、リザードフリクションなんかと一緒にヒカシューが出ていたと考えるだけで笑えてしまいます。

 

主催のソンソン弁当箱の思い出は前回のブログに書いたのですが、メンバーチェンジ後の初ライブだったらしいのですが、良くも悪くもバンドがメンバーチェンジするって大変なことなんだなぁ、と。

が、しかし、Voのカジカ君は真面目だし、昨日も二言三言話しをしたら面白いことを考えてるし、これからもずっと観てしまっちゃうんだろうなぁ、と思っております。

 

で、ふと思い出した事がありまして。

 

スタジオ時代に色んな面白いバンドを観てきましたが、一番印象に残っているバンドが「マゾヒステリックまりえちぁんバンド」であります。

当時、宮城学院大学のシングメイツってサークルで結成されてたガールズバンドです。

特に演奏が上手いわけでもないけど、そしてレパートリーが多いわけでもないのでほぼ毎回似たようなセットリストだったし、きっとメンバーそれぞれの好きな音楽のしゅみもちがうんだろうなと思うし。

でも毎回ライブはワクワクしながら観ておりました。

彼女たちが意識していたかどうかは解らないのですが、観に来た観客のオナペットになると見せかけて、実は後ろから唾を吐きかける、そんなイメージであります。

一緒に深夜に一週間くらいかけて音源作るのに付き合ったのは良い思い出であります。

 

 

 


マゾヒステリックまりえちぁんバンド - chin-jao-lows

 

2009、7

2009年7月に仙台市内でリハーサルスタジオをオープンさせたことがあるのですが、もう、まったく素人が思いつきで始めたようなもので、音楽関係者の方にコネクションがあったわけでもなく、ホントに集客するのに苦労したものです。

 

そんな初期の頃に出会った2つのバンドが、そのスタジオの運命を変えたって話しです。

 

まずは「too」。

私の奥さんが東北大学の工学部で働いていまして、まったくスタジオにお客さんが来ないから東北大学のサークルにチラシ置いてもらって!って頼んだところ、奥さんのいた研究室の助教授の研究室にいたブーリンに話しをしてくれたらしく来てくれたバンドでした。

結構ハードな感じのバンドだったような記憶が(うっすら・・・)

その後東北大学のサークルのお客さんがすごく増えたのは「too」のお陰と言っても過言ではありません。

ブーリンやドラムのマコト君は元気かなぁ・・?

そしてなんといっても「too」でベースを弾いてたのが齋藤ジョニー君でありました。当時スタジオにGrecoのSGのWネックのギターを置いていて、それでZepplinとか弾いてたのを観て「ベースなのにギターがメチャ上手いなぁ!」とジョニーに言った記憶があります。

まぁ、のちにギターが本職って知りましたが。

いまや人気者なのでうかつに声をかけられなくなりました。

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そして「ソンソン弁当箱」。

やってたスタジオを他と差別化するために24時間営業で!って、そりゃ最初は深夜にくるお客さんは皆無で掃除に明け暮れていたものです。

そんな時、深夜1時ころに電話が鳴って「今からスタジオ入りたいんですが空いてますか?」って電話をよこしたのがソンソン弁当箱でした。

当時は「ノットクライアント」の最後期だったらしく、会員登録をしてもらったときに「バンド名を変えるんで、新しいバンド名を書きますが、まだバンド名は内緒にしておいてください。」って記入した名前が「ソンソン弁当箱」でした。

私は「なんでこんな夜中に練習?」って聞いたら「今日ライブだったんですが、全然ダメだったので練習に来ました」って言ってて、なんて真面目な!と思ったものです。

ボーカルのカジカ君は若いのに(うちの娘の1つ上?)「INU」とか「リザード」とか「フリクション」や「ヒカシュー」とか80年代の邦楽ロック、ニューウェーブシーンが好きらしく朝までロビーで話しをしたなぁ。

すぐに彼らのライブを観に行ってパフォーマンスのクオリティの高さに驚きました。

あの頃はベースのジェットが高校3年で受験の為にベースがサポートでした。(ジェットとうちの娘が小・中学の同級生だったって知ったのはかなり後の事)

仙台の10代には絶大な人気だったので、ソンソン弁当箱を慕うバンドがたくさん来てくれました。

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ハセガワを構成したモノ(映画)

私をリアルに知ってる方はご存知かと思いますが・・・

 

MODS好きなのであります。

さらば青春の光」なわけです。

とりあえず内容はどうでもいいんです。

もう、ラウンデルマークとベスパとM-51とTHE WHOです。

 

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高校生の時からずっと引きずっています。

 

いまだにvespa100に乗ってます。

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でも主人公のジミーが乗ってたスクーターはランブレッタでしたよね。

ランブレッタは高くて買えません。(笑)

 

もう、この映画を観たためにイギリスかぶれになってしまいました。

 

実際にはヒースローでトランジットしたことがあるだけで観光したことはありません。

ハセガワを構成したモノ(雑誌)

小さい頃から結構、節操なく雑誌を買ってしまいます。

 

まぁ、最初に「POPEYE」ですよね。

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とりあえずアメリカ西海岸と、アイビーとVWのビートルに憧れます。

秋田の田舎で過ごしてた中学生はアイビーったって限界があるわけです。

まずは「まがいモノ」っぽいのでアイビーっぽく見せる的な。

しかし唯一Univercity Shopで買ったレタードカーディガンは現在でも着ているという物持ちの良さ。

中学生の頃だから、もう33年モノです。

 

ビックリハウス

私をサブカル野郎に導いてしまったのはこの雑誌のせいです。

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パルコ出版で私が読み始めたころは既に編集長が高橋章子であった気がします。

読者の投稿がメインで、「おもこのコーナー」(思い込みで勘違いしてたことを告白する)、「筆おろし塾」(半紙に習字なのですが書く内容と筆文字のアンバランスさが面白い)「ビックラゲーション」(身の回りで起きたびっくりしたことを投稿する)「全国流行語振興会」(流行らせたい言葉と意味を投稿。審査員に認定されて広辞苑に載ることを目的!が、実際に「バイなら」「えびぞる」「まいっちんぐ」などが掲載されることとなる)などなど、くだらないことのオンパレードなのです。

投稿者の中には筋肉少女帯大槻ケンヂが「ビッグムーン大槻」ってペンネームで投稿してたり鮫肌文殊ナンシー関なんかも投稿してたのです。

そして「ビックリハウス」に絡んでた人達も凄かったのです。

「ヘンタイよいこ新聞」の連載を持ってた糸井重里、後はイラストで湯村輝彦みうらじゅん原田治安西水丸、あとはYMOムーンライダース、とんねるず、竹中直人などなど。

中高生の私に多大な影響を与えた雑誌です。

 

「ポンプ」

これは、もはや知ってる人がいるのだろうか?ってくらいマイナーだと思います。

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これも読者投稿型の雑誌でしたが、いま考えると現在インターネットが普及している中、ネットがない状況の中で同じことを雑誌でやってたんじゃなかろうか?と思うくらい当時は先を行ってた雑誌だったのではないでしょうか?

実はこの雑誌にも大槻ケンヂは投稿してたはず!

あとは漫画家になる前の岡崎京子がイラストを投稿してたのを覚えています。

 

皆さんは、中高生の頃ってどんな雑誌を買っていたのでしょうか?

年代によって変わるのでしょうが、非常に気になるところです。

 

今日のハセガワ

満身創痍であります。

 

この私がライブハウスのステージに立つというだけでグッタリなのに、まさか22才のGt&VoとDr&choのガールズバンドのサポートでベースを弾くという「48歳のオッさんに何させるねん!」と言う日だったのです。

 

しかも対バンが高校生バンド3組と20歳代のバンド3組という中で孤軍奮闘するオッさん1人。

私ができることは唯一、平均年齢を上げる事だけです。

 

まぁ、ミスを連発しながらも無事終了。

 

終了後、左からiLAST、Gt&Voのひとちゃん、ニホンジンのリュックサック今井氏、Dr&choのトモエント。

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そしてリュックサック今井君の衣装用のサングラスをこっそり借りて撮影。

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完全アウェイの中、何とか任務終了。

 

やっぱりスタジオに戻るとホームです。

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もしかするとiLASTのライブ動画が来週入手出来るかもしれないので、ちょっと観て反省せねば。

 

ハセガワの音楽遍歴(大学3年)

いよいよ聴いてた音楽と年代が一致しなくなって来ました。

とりあえず鮭の俎上のように年代を遡って掘り進んでた時期のように思います。

70年代のアメリカものを聴いてたかなぁ。

CCRとかディランとかTHE BANDとかジョップリン、ジミヘンあたりを良く聴いてた気がします。

 

んで、仙台市民としてはこの時代で忘れちゃいけないのが「ロックンロールオリンピック」ですよね。

毎年8月中旬にスポーツランドSUGOで開催されていた野外イベントです。

もう日本のフェスの走りといっても過言では無いのでは!

主催は仙台で現在もおなじみのライブハウス「パークスクエア」「フライングサン」をやっているフライングハウスさんでした。

 

とにかく出演バンドが毎年豪華でした。

 

ネットで検索するとわかりますが、BOOWY、シーナ&ザ・ロケット、ARBルースターズ、子供バンド、ストリート・スライダーズ、ラフィン・ノーズローザ・ルクセンブルグ、X、JAGATARA、レッド・ウォリアーズ、ジュンスカ、シェイディ・ドールズ、筋肉少女帯・・・etc

書いてたらきりがありません。

 


BOΦWY /NO NEW YORK - YouTube

 

で、爆発的に売れる前に呼んじゃうあたりがスゴイ!

BOOWYなんかも一番最初に来た時は日中でしたが翌年には「BOOWY」が爆発的なセールスでトリ近くの演奏じゃなかったかなぁ。

とにかく出演バンドのセレクトは先見の明があったイベントでした!

 


X JAPAN LIVE 1988.8.20 仙台R&Rオリンピック - YouTube

 

「X」も真昼間の野外ライブでした!

 

昼から夜にかけてだんだん人気のあるバンドが出てくるのです。

 

私が一番好きだった(今でも好きですが)バンドはコチラ。

 


THE ROOSTERS ニュールンベルグでささやいて - YouTube